650形
651~655号
654・655引退

ヒロシマの被爆電車

 1945(昭和20)年8月6日、午前8時15分。ヒロシマに人類史上初の原子爆弾が投下され、一瞬にして数万人の尊い命が奪われました。また、その時市内を走っていた多くの路面電車も同時に被爆し、壊滅的な被害を受けたのです。
 戦後70年以上経ちましたが、今でもその時被爆した電車の一部、650形2両が、核兵器の愚かさを伝える生き証人として現役で活躍しています。広島市民はこの電車を「被爆電車」と呼び親しんでいます。
 また毎年8月6日前後には、平和学習の場としてこの650形が使用され、被爆者から証言を聞くといった被爆体験の後世への継承も行われています。
 しかし、車両の近代化が急速に進む中、この車両の引退の噂は絶えません。2006年6月25日、それまで走っていた4両のうち2両(653号・654号)が遂に引退してしまいました。ここでは、650形4両の写真を紹介しています。いずれ引退していく被爆電車たちの生き様を、しっかり目に焼き付けておきましょう。

 電車と同時に広島電鉄本社等の施設も壊滅的な打撃を受けました。詳しくはこちらをご覧ください。
 人類がもう二度とこのような惨劇を繰り返さないように祈ります。
 


【650形の概要】
 1942(昭和17)年に木南車両で5両が製造された半鋼製3扉車です。当時としては最先端のエアブレーキを装備していました。
 1945(昭和20)年の原子爆弾の投下により全車が全半壊しましたが、全て復旧されました。被害の少なかった651~654号は早期に復旧したものの、655号は被害がひどかったために、張り上げ屋根になって1948(昭和23)年に復旧しましたが、1967(昭和42)年に事故にあい廃車されました。
 それ以外の車両は1975(昭和50)年にワンマン化されました。この時、後扉を完全に締切っていますが、扉自体はその面影を残す形で埋められませんでした。車内では埋められた扉部分まで座席を延長しています。そこからは運転席をしっかり見る事ができます。
 1982(昭和57)年に方向幕を電動大型化、1986(昭和61)年に冷房化されました。
 車内には「650形電車の由来」なる被爆時の状況などを1両ごとに解説した説明版が、運転席の後部にあります。

【650形の被爆状況】
・651:半焼。1946年3月復旧
・652:宇品付近で被爆、小破。1945年8月復旧(被爆直後の広島市内を走り、悲しみに暮れていた広島市民を大いに勇気付けたと言われている。)
・653:江波付近で被爆、大破。1945年12月復旧。
・654:江波付近で被爆、大破。1946年2月復旧。
・655:広島駅前で待機中に被爆、全焼。1948年11月復旧。

【650形の現状】
・651~652:千田車庫所属。現役で運行中。
・653:2006年6月、一旦引退し江波車庫に保管後2015年6月から昭和20年当時の塗装に復刻して貸切専用となり千田車庫所属となる。
・654:2006年6月、引退しヌマジ交通ミュージアム(広島市安佐南区、旧広島市交通科学館)に寄贈され屋外展示。現在昭和20年当時の塗装に塗り替えられている。
・655:1967年3月、廃車。
 
651号~655号
製造所 木南車両
竣工 全車:1942年10月
廃車 654号:2006年6月
655号:1967年3月31日
構造 半鋼製ボギー車
定員 80人(座席:32席)
全長 12.38m
全幅 2.438m
全高 3.839m(冷房化後)
編成出力 38kw×2
駆動方式 吊り掛け駆動
制御装置 直接式

651号
下の写真は広電100周年記念イベントの特別電車です
651号
2004年8月25日撮影 市役所前電停

651号
2012年11月23日撮影 広電本社前

652号

2004年8月25日撮影 白神社前交差点

現役時代の653号
現役時代の653号
2005年10月21日撮影 市役所前交差点付近

現役時代の654号
現役時代の654号
2005年11月21日撮影 市役所前電停
 
現役時代の654号
懐かしい昭和の写真 1983(S58)年8月撮影 十日市電停
冷房化される前で窓枠も今と異なります。
 
 原水爆禁止2005年世界大会、うごく分科会「被爆電車に乗って」で運転するために被爆電車3両が千田車庫に勢ぞろいしていました。このように一同に介した被爆電車を見る事は滅多にありません。そういう意味でこの写真はとても珍しい写真なのです。この催しは2002年、2004年に続く3回目で、被爆しながらも未来の人々に原爆の恐ろしさと戦争の悲しさを伝えるために、長年にわたり同じ姿で待っていた被爆電車に乗り被爆体験を聞きながら、広島の平和にゆかりのある場所を一周するものです。
 
左から1号車の653、2号車の651.3号車の652
651-653
2005年8月5日 AM8:10撮影 広電千田車庫
 
 
503号の運転席の後ろに掲示してある「六五〇形電車の由来」
650形電車の由来
 
650形運転席 653運転席の後ろ
2005年6月3日撮影 653号
 
 
広島電鉄開業100周年記念イベントに勢ぞろいした3両
651-653
2012年11月23日撮影 広電千田車庫
 

654号が寄贈・展示されたヌマジ交通ミュージアム
(旧、広島市交通科学館)

ヌマジ交通ミュージアムのホームページ
 2006年6月25日、広島電鉄の被爆電車653号・654号が64年間の現役生活を終えて引退しました。本当に長い間ご苦労様でした。2両のうち654号が2006年7月21日に、旧名「広島市交通科学館」()現在のヌマジ交通ミュージアムに寄贈され屋外広場に展示されました。嬉しい事に運賃箱や貼り紙はそのまま残されています。開館時間中は自由に見学でき、イベント時などで車内も公開されます。
 屋外で良好な状態を保つため、広島市は来年度以降、屋根の設置も計画していたようですが残念ながら2016年現在屋根はまだ設置されていません…。車体がかなり汚れているように見えます(涙)
 貴重な被爆体験を継承するために、いつまでも今のままの姿でいてほしいものです。(屋外広場だけなら、無料で入れます)
 
 もう1両の653号は、江波車庫で保管されていましたが、2015年6月から昭和20年当時の塗装に復刻して貸切専用となり千田車庫所属となっています。また展示された654号も昭和20年当時の塗装に復刻され冷房装置も取り外されました。下に2006年7月29日(引退時色)と2016年11月2日(昭和20年色)を対比しやすいように写真を載せてあります。
広島市交通科学館 
 

654号が寄贈・展示された
「ヌマジ交通ミュージアム」
 
この建物の西(写真右側)の
屋外広場に展示してあります
 
屋外広場にある案内板屋外広場から見える車両基地
交通ミュージアムの下には、広島市新交通システム
「アストラムライン」の車両基地があります。
屋外広場の一角に展示してある654号 屋外広場の一角に展示してある654号
屋外広場の一角に展示してある654号
 
 
引退時色と昭和20年当時の色と比べてみてください。
 
654号 パンタグラフを立ててあります
654号 パンタグラフを立ててあります
 
654号 すっかり景色に溶け込んでいます
654号 すっかり景色に溶け込んでいます
 
654号 方向幕に「原爆ドーム前」の文字
654号 方向幕に「原爆ドーム前」の文字
 
654号 説明板